すごく影響を受けた写真家のひとり、ラリー・クラーク。久々に本棚に手を伸ばし、写真集を開いた。作品はどれも好きだけど、写真集になっているものは本としてのモノ感も良くて特に好き。中でも、尊敬するアートディレクター藤本やすしさんから頂いた写真集「ティーンエイジラスト」には思い入れも深く、今までに数えきれないほど繰り返し眺めた。

何年も見ていなかった写真集を手に取ったのは、スタイリスト本庄との話しがきっかけ。既にアップされているように、今回NEPENTHESウェブサイトでは、本庄による特集ページを制作した。全てを本庄がディレクションして制作したもので、10代に着せるという発想がとても新鮮だった。
最初にラリーの写真を見て体に電流が走ったのは、たぶん10代後半くらいだったと思う。うつろな表情で思いのままドラッグやセックスに耽るティーン。そこに入り込み同じ目線で撮られた、映画の一場面のような写真。そういうアートが存在し得るという事に衝撃を受けた。
「1992」を買ったのは、昔NYソーホーにあった今は亡き写真集専門店PHOTOGRAPHER'S PLACE。ラリーの写真集はどれも絶版だったので、当時は古書を自分で探して買うしか作品を見る方法が無かった。

ラリーの処女作「タルサ」は71年で、その後いくつかの写真集を残し、今は映画監督として精力的に活動している。そのキャリアの全てのモチーフがティーンエイジャーだ。インタビューなどから、ラリー自身の思春期におけるコンプレックスや不完全燃焼感がティーンへの羨望と偏愛に変化して、彼を突き動かしていることが分かる。その衝動を理解できるかどうかとは別に、作品は多くの人に影響を与えている。
映画界でもマーティン・スコセッシとガス・ヴァン・サントが、ラリーの初期作品からの影響を認めてる事が知られていて、どちらも大好きな映画監督だから、それを知った時はとても腑に落ちた。


大人と子供の間で揺らめきながら、未来への諦めと期待が行き来する。儚さと危うさに包まれたティーンが持つ中性的な存在感は、いつの時代も見る者の胸に迫る。不穏なニュースが飛び交い閉塞感が消えない今だからこそ、そこに希望を見つけたい。
"FINDING HOPE IN TEENAGERS"