
仕事がらみの若手の知り合いたちと話していたら、いつの間にか話が世間話になっていて、そのついでに今度はどこのスケータースニーカーブランドがカッコ良いか?みたいな話になってしまった。聞いてるうちに、それが一体何に関係があるのか、またどんな意味があるのか、よく考えてみたら僕にとってはどうでも良いような話に思えた。だけど何だか、彼らの話しぶりからは結構真剣な感じだし、なんとなく聞き慣れたフレーズが飛び出してきてる。「V社とかは、なんかメジャー過ぎてイマイチ。N社も最近作っているけど、これも何か違うよね。うーん、そうなるとE社が一番今は良い感じがするんだよね」続けざまに、「そうそう、E社のまだ完成されてない、未熟な感じが何か良いんだよね」と。
これは全くもって、自分たちが若き頃、20代後半から30代の前半あたりに言っていたフレーズと同じだと気がついた。自分たちものその時分、そんなことを盛んに話していた。わけの分からない適当なモノサシで一般にカッコ良いとされるものをカッコ悪い、誰もまだ知らないものをカッコ良いと、、ま、イッチョマエに批評していたのを思い出して、いやあ、いつの世も変わらないもんだなあと感心しつつ、、、、。待てよ、これ、これなんだな。今はオヤジになってしまった僕も、昔はこんな風に分かったような顔をして人前でバンバン語っていた気がする。そのオヤジには大して関係のないようにみえる、意味がなさそうにみえる、本当に些細な、微妙な違いをもって、カッコ良かったり、悪かったりする感覚。ダメなものが良いという矛盾が全くまともに聞こえてしまう感覚が僕にもかつてあった。それは理屈では説明できない、だけどもその時代のその人がらみには共通の感覚というか、見えない何かがあったんだと思う。
彼らと話していて、知らないうちに体制を固めたオヤジ側(年齢的には完全にオヤジですが、ここでは精神的にという意味で)に廻っていた自分がいることに気がついた。同じ時代に、同じようなモノがあって、全部が皆同じに見えるところに、違いを見いだす事ができるのはこの感覚だったはず。まだかすかに残っている記憶を辿って、なんとか昔みたいな感覚を取り戻す事はできないものだろうか。
話は全く違うのだけど、NYに戻ってきたら凄い事になっていた。ハワイ滞在中にホイットニー・ヒューストンさんの訃報を聞いたのもびっくりだったけど、このNYニックスに現れたスーパーヒーローにも本当にびっくりした。事務所で一緒に働くB君は、根っからのニックスファンで、NBAに限らずスポーツ全般にやたらと詳しいのだけど、彼からレクチャーを受けたとたんに、ま、昔からノリやすい、ミーハーな性格なんで、一気にビッグファンになってしまった。なにせ、デビューから記録づくしで、無敗の7連勝。その後、今現在でも、13戦で、10勝3敗。(3月1日現在)どんだけ彼が凄いかは、皆さんそれぞれ ユーチューブでググって下さい。とにかくもの凄い大活躍のシンデレラボーイですが、さらに惹き付けられたのは、彼がアメリカ生まれだけど、東洋人であること。今までも、中国からやってきた巨大なNBAプレーヤーはいたけれど、そうではなくて台湾系だけどれっきとしたアメリカ人で、しかもNBA選手では50年以上ぶりのハーバード大学卒。まさに文武両道を地で行ってる感じなんだが、本当に素晴らしい活躍を続けている。NYのスポーツ紙は彼で持ち切りだし、スポーツニュースをはじめ、メディアの取り上げ方も半端ない。

メジャーな番組で特集されたり、スポーツと関係ない有名雑誌の表紙も飾っているこの盛り上がりは彼の名前にちなんで、Lin-sanity と呼ばれてる。コアなNYファンから絶対の支持を受ける彼の活躍を見てると、何か、一アジア人としてもかなり嬉しい。普段は日本人、日本人と言っているのに、こういう時だけ、アジア人になれるのもいいかげんと言えばいいかげんだけど、個人的にはもうそれを超越して嬉しい。NBAの舞台で、アジア系のポイントガードの活躍するのを見たのは2回目。(初回は当然、田臥 勇太です)先に書いたように、完全なミーハーファンです。最後にNBAにハマったのは遠い昔の、マイケル・ジョーダンの時代。ピペンや、バークレーや、ユーイングの頃。ジェレミー・リンの活躍を見てると、往年のジョーダンを思い起こす。久々に、スポーツバーに集まったりして、今のところ身近なところでも盛り上がってます。食事の席でも、飲みながら最近はもっぱらリン選手の事で語りまくりで、結構飽きられている気配もあり。でも彼の活躍を見るのは素直に楽しい。飲む酒も格別にうまい。っていうのは、ま、気のせいだろうな。
ではまた次回。
鈴木 大器 DAIKI SUZUKI
NEPENTHES AMERICA INC.代表
「ENGINEERED GARMENTS」デザイナー。
1962年生まれ。89年渡米、ボストン-NY-サンフランシスコを経て、97年より再びNYにオフィスを構える。
09年CFDAベストニューメンズウェアデザイナー賞受賞。日本人初のCFDA正式メンバーとしてエントリーされている。